銀時どっとこむ

ラグドール日記です

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2013-04-05-Fri-15:03

【 思ふこと 】 徒然なるままに。

こんにちは!SGR4の嫁です

久しぶりの更新で大変、恐縮ではあるのですが
今日も私事を少々、記載させて頂きます

基本的に私の中で
「銀時どっとこむ」は
「猫好きの方が我が家の猫ちゃん達のかわいさを楽しむ為の場」
として認識しているのですが
「少しくらいなら私事を書いても良いのかな?」
と、思うようにもなりまして…

と、いう訳で
あまり興味のない方はスルーでお願いします

エルちゃん、ハルちゃん:「うちの飼い主がど~も、すみませ~ん
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自分の今まで歩いてきた道を振り返ることをしていました

…と、言うよりも
色々やってみたら結果としてそうなったというのが
実のところなのですが

そんなこんなで
長い間、自身に課せていた問いに答えが出てきました
そして、自分はまだまだと改めさせられました

かつてお世話になった方々との再会や
あえて訪れたことのない土地に足を運ぶことは
長い人生に於いて大切なことですね

今また、
私のまわりで同時多発的にいくつかの問題が発生していますが
どれもこれも全て多分、大丈夫だと思います

混沌とした感情の中に揺らぎやうねりはあるのですが
それでも、今の私がやるべきことは明確にわかっているのです

ここまできたら、あとはやるだけです

自分の中に「珠玉」と呼ばれるものがあるとすれば
日常を研鑽の場として捉え、
人々の生き方や考え方に直接的かつ間接的に触れることにより
見識を高め、見聞を深めます!
それによって「珠玉」を磨きます

そして、いつの日か
自分の夢と野望、そして生きる目的を果たしていきます

・・・

振り返ることは好きです。
振り返る為に立ち止まることも人生には必要な時間だと思います。
そして、その時間を大切にしたいと思う心は今でもあります。
それでも、
私は時を駆け抜けるように走り続ける姿が
何より、よく似合っていると自分で思うのです。

今は、その走り出す時です。

私の心を奮い立たせる魔法のような曲が頭を巡ります。

「いきものがかり」の
「タユムコトナキナガレノナカデ」と「今走り出せば」

この二つの曲がこの順序で流れる様子が
今の私の心をよく表しています。

・・・

私のそばには私以上に苦しんでいる人たちがいます。
その人たちのことを思うと胸が張り裂けそうです。
けれど、私が苦しんでもその人たちはもっと苦しくなるだけです。
だから、私をあえて「いつも通り」を選びます。


どうしても、いつの日が会いたいと思う人がいます。
今は会いたいと願っても会えない人です。
会えないことに対するどうしようもない苛立ちや焦りが私を狂わせます。
けれど、いつか会うべき時がくれば会える、そんな気がします。
だから、いつか会えるその時を「楽しみ」と捉えることにします。


これから先もずっと守りたい、支えたい存在があります。
けれど、私の不甲斐なさや未熟さがその存在を傷つけていました。
情けなさとただの悲しみが私を支配しようとしていました。
それに気づいた瞬間、私は自我を取り戻しました。
だから、これから先も「守り、支え続けられる」と確信します。


私のことを想い、偽りを述べる存在がいます。
けれど、私はそれを鋭く見抜きます。
私は「本当のことを言って」と言い続けていましたが、これから先はもう言いません。
自分に無理をして特定の誰かに本当のことを言う必要はないのです。
人の心はその人自身のものです。
自然と語りたくなった時に語れば良いし、語りたくなければ語らなくて良いのです。
私は来る者拒まず、去る者追わず、深追いはしません。
だから、これから先は「嘘だけはつかないで」と言い続けます。


幼い日に憧れたあの存在は、今も私の中に「憧れ」としてあり続けます。
決して手の届かないその存在に、私はどれだけ焦がれたことでしょう。
大人になり、自分はその存在のようになれないことを悟りました。
そして、そこから、その存在になれずとも同じ道を進むことはできると気づきました。
だから、私は「己の信じる道」を歩みます。

・・・

本当は、ここまでのことを
書くつもりはなかったのですが書き綴ってしまいました

私は「発言」や「行動」は、
「責任」を伴う「自由」の名のもとに
あるべきだと思います。

なので、私はどの場に於いても
極力、軽はずみな言動は避けていました。
勿論、主張しなければならない場では自分の意見を
ハッキリと伝えることはしていましたが。

それを理解しながらも、こうして私事を書き綴ったのは
何故か「客観的」に考えてみました。

私が「ここまでのことを書き綴った」という行動の意味するものは
「気まぐれ」な「自傷」に最も近い「自慰行為」だったのではないか?
と、思います。そこには、「無意味さ」しかないようにも思えます。

・・・

私は以前、高齢者と多く接する福祉の現場で働いていました。
高齢者は人生の終焉に最も近い存在です。
生物は皆、死に向かって生きている訳ですが
高齢者は、ある意味では、死に最も近い存在です。

薄々は感じていましたが
彼らと接する中で、
私は「人には決せして癒せぬ、理解しきれぬもの」が
あることを確信しました。

笑顔の中には、もの悲しげさがあり
怒りの中には、寂しさがありました。

そこから派生した考えは意義深いものでした。
人は誰しも癒しきれぬ傷と罪を負いながら生きています。

その傷とは、
過去の苦い経験や大事な存在の喪失、
自分が自分でなくなるような恐怖など、ではないかと思います。

これを聞いてピンとこない人もいるかとは思いますが
それは、まだその人がそういった経験をしたことがないからだと思います。
いずれは、理解できてしまう日が来ると思います。

私は、多くの人の心に触れ
決して近づききれぬ人の思いに寄り添うことに努めました。


「違うからこそ近づきたい。」
「理解しきれぬからこそ、受け入れたい。」


いつからか、
そんな思いを抱いて私は「仕事」という名の「役目」を務めていました。

心理学における「共感」とは、
広く一般的に使われている意味とは少し違うそうです。
私は無意識のうちにそれを行なおうとしていたように思えます。

そして、人の思いを受け入れ続けた私の心は
受け入れた私自身の重さで潰れてしまいました。


「自分が何故、苦しいのかわからない。」
「私は何ともないのに何故、耳が痛むのかわからない。」


ある日、突然
「右耳低音障害型感音難聴」という症状が私を襲いました。

まわりの音が聞こえにくくなり、
一定のガサガサという音が常に耳元で聞こえました。
また、話す度に、自分の声がハウリングするような感覚がとても不快で嫌でした。

「もしかしたら、私はずっとこのままなのかな?」
そんな漠然とした不安が常についてまわりました。

症状に対する不安や苛立ちもありましたが、
それ以上に、仕事をして「役目」を果たし続けたい、
という思いが勝りました。
それどころか、症状を体験したことにより
人の痛みを理解できるようになった錯覚に陥りました。

そんなこんなで、少しの休養期間を経て
私はクワガタが食べるようなゼリー状の薬を摂取しながら
仕事にやりがいを感じて働き続けていました。

症状が治まり、検査に基づく医師の所見でも「完治」とされました。

私は「また、耳が聞こえなくなったらどうしよう?」と、
思いながらも、それを払拭するように必死に働きました。

働いて、働いて…
私はいつの間にか自分を見失っていました。

ものごとは気持ちだけでは成り立たないことを痛感します。
それなりの専門知識とそれに基づき積み上げていくような経験が必要です。
また、あらゆるものを受け入れるのであれば
それに見合った精神力を培う必要もあります。
それが難しい場合は、自他や公私に対して潔く線を引く
メリハリを持った決断と要領が求められます。


「人は何故、生きるのだろう?」
「何故、生き続けなければならないのだろう?」


そんなことを悶々と考えるようになった頃、
新しい生命が私の中に宿りました。

そして色々、考えた結果、
退職という道を選びました。

・・・

子どもが産まれるということは
本当に喜ばしく、おめでたいことだと思います。
私は子どもの存在に救われました。
そして、同時に重荷を感じました。

妊娠、出産、育児。

過度の寝不足とホルモンバランスの乱れが
虚無に囚われた私の心に拍車をかけました。

全身筋肉痛。疲労。腰痛。陰部の痛み。
出産からしばらくの間、痛みとともに
自分の身体が思うように動かせないもどかしさが襲いました。

朝も夜も関係なく、不定期に泣き続ける我が子。
次第に時間が時間の意味を為さなくなるような感覚。
授乳時に乳首から全身に走る激痛。
慣れないおむつ交換。失敗をしてシーツを汚してしまった時の申し訳なさ。

我が子の可愛い寝顔。
見つめるうちに
突然、目を見開いてこちらに襲いかかってくるのではないか
という妄想に駆られました。

退院後は、特に塞ぎ込むようになってしまいました。
周囲の優しいはずの言葉でさえ
当時の私の心には、ヒリヒリとした火傷のように感じてしまいました。


「毎日が苦して苦しくて仕方がない。」
「本当に嬉しくて幸せなのに、どうして毎日が虚しいのかわからない。」

・・・

今になって、思うこと。
当然、専門家に診てもらわなければ断定はできませんが
当時の私の心は精神医学的にも脳科学的にも
少しくらいは病んでいたのではないかと思います。

職業柄、少しくらいは「うつ病」に対する知識は兼ね備えていました。
「「自分はうつ病かもしれない」と思う人は本当はうつ病ではない」と
聞いたことがあります。

当時の私はその認識もあり、
だから「自分は違うのだ」と捉えていました。
ちょっとした躁鬱ぐらいなら普通だと思います。
それでも、妙な息苦しさがありました。

素人が素人なりの知識を持っていたとしても
それはあり合わせなものでしかなく確信に欠けるものです。
症状を当てはめようとすればいくらでも当てはまります。
だからこそ、専門知識を兼ね備えた専門家がいるのです。


「考えがまとまらない。」
「今まで自分が何をしてきたが思い出せない。」
「忘れてしまったように言葉が言葉にならない。」


人と話すことが辛く、億劫に思えました。
それでも、「これじゃいけない!」と思う自分がいました。

あえて、積極的に外へ出るようにしました。
あえて、新しい人間関係を作ることにしました。
あえて、人を家に招き入れその人と話すようにしました。

初めは、うまくいかないことばかりでした。
それでも
何かが変わる、そんな気がして模索し続けました。

我が子もスクスクと健やかに成長を遂げていました。

初めは、寝ているか、泣いているか、おっぱいを飲んでいるかしかなかったのに
次第に表情が生まれ、笑うようになりました。

首がすわり、寝返りができるようになりました。
後退したり、その場でグルグルと回る期間を経てハイハイで前進を始めました。
仰向けになった状態で自分の足を手で捉え
バランスを保ち、自力で座る為の練習を独りでにしていました。
つかまり立ちを覚え、ハイハイとつかまり立ちの合わせ技で
あちこち動き回るようになりました。
好奇心赴くままにあらゆるものに触れ
時に驚き、時に泣き、時に喜び、自ずから自我を育んでいました。

先日、1歳5ヶ月を迎えた我が子は
よく喋り、時には歌い表情も豊かに成長しています。

今では、すっかり
ごはんをモグモグ頬張りながら「おいしーねー」と笑ってくれます。
ママの頭部を小さな腕でギュッと抱きしめ「だーいじ」と言ってくれます。
ちょっと悲しいことや嫌なことがあると
ママを求めて泣きながら走り寄ってくれます。


「ごめんね、ママはまだあなたのママに成りきれてなかった。」


大人というのは
子どもという存在と接する中で本当の意味での大人になっていくものですね。

育児書はあえて読まないことにしている私ですが
ママ友を介して「親は子どもによって親にしてもらっている」と
聞きました。
全くその通りだと思います。

少しずつ、少しずつ
冬の終わりに雪が溶け出すように
私は自分を取り戻していました。

・・・

ここまでのことを書き綴った理由は先に挙げた通りですが
その他にも理由がいくつかあるような気がします。

一つは、自分自身に対する「戒め」や「けじめ」として
「決意」や「抱負」を掲げたかったのです。

そして、その「決意」を読み手に
「綺麗事」や「嘘」だと思われたくなかったのです。

また、何故、私がそんな「決意」をしたのか
気になってしまう読み手に余計な詮索をさせない為でもあります。
「知らない」ということはある意味、とても怖いことです。
悪意なきところに悪意を生み出す危険性さえあります。
人が悪意を生み出してしまった時、またそれに気づいた時、
人は心に罪を負うのではないかと私は思います。

話を戻しまして、その他の理由を考えます。
今の自分が何処までのことを文字情報を通して読み手に伝えられるか
また、それに対し読み手がどのような反応をするか
知りたかったというのもあります。
ある種、怖いもの見たさの実験的な行為ともとれます。

もっと簡単に、
子どもが周囲に対し自分が発見したおもしろいと思ったものや感動を
教えたり、ひけらかしたがるような幼稚な欲求行動だったかもしれません。

さらに、掘り下げていけば、いくらでも掘り下げられます。

ただ、先に挙げたいくつかの理由を目的ととれば
私はもう既に十二分に、目的を達成しています。
故に、今はこの論理をこれ以上、展開することは意味を成さず
同時に、それをここで抑える必要があります。

最後まで、
読んで下さった読み手の皆さん、
ありがとうございました。

私は、
いつも通り、あるがままの私で毎日を楽しみながら
大切な存在を守り、支え続けます。
そして、自分自身に嘘をつかないで
己の信じる道を命ある限り歩み続けます

チャンチャンッ
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